クリムトの魅力と代表作「接吻」を徹底解説!女性を虜にした理由とは!?
投稿日: 投稿者:MASAKO IKEDA
クリムトは世界中で人気がある作家で、日本でも作品を所蔵する美術館がいくつかあり、大規模な展覧会も開催されています。
広告やポスターなどにも使用されているため、作品を見たことがある人が多いのではないでしょうか。
今回はクリムトの経歴と多くの女性を虜にした理由、そして代表作『接吻』の魅力を解説します。
クリムトの経歴
グスタフ・クリムト(1862-1918)は、オーストリア・ウィーン郊外のバウムガルテンに7人兄弟の長男として生まれました。
14歳のときに、オーストリア工芸博物館付属工芸学校に入学します。
在学中に弟・エルンストと同級生のフランツ・マッチュと一緒に装飾会社を設立し、ブルグ劇場やウィーン美術史美術館の壁画などの制作を担当し、芸術家として成功していきます。
1892年クリムトの父と弟のエルンストの両方が亡くなり、会社は解散となりました。
そこからクリムトの芸術的な方向性が変わり、個人的な活動をするようになります。
1897年には、仲間と共に保守的な美術界からの分離を目指す『ウィーン分離派』を設立します。
1905年に分離派を脱退してからは、壁画制作や上流階級の婦人たちの肖像画を中心に手がけて人気を誇り、黄金時代を迎えます。
1918年に脳梗塞を発症し、入院中にインフルエンザの症状悪化で息をひきとります。
享年55歳でした。
黄金時代のクリムトにはパトロンがたくさん!
当時のオーストリアではクリムトは有名人でした。
毎日ように上流階級の人たちがクリムトの家を訪れ、金銭的な援助を呼びかけたり、作品の依頼をしていたそう。
パトロンのために豪華でロマンティック、カラフルな作品を手掛けるようになり、代表作『接吻』のような全体に金箔をふんだんに使用した作品を制作していきます。
クリフトが女性を虜にした理由
クリフトの作品の中心となるモチーフは女性で、率直な愛やエロティシズムを主題としています。
クリフトの周りには多くの美しい女性モデルがいて、生涯結婚はしなかったものの、何十人も愛人がいて、恋多き人生でした。
妊娠した女性もいて、非嫡出子の存在も多数判明しています。
クリフトは表だった行動をすることはほとんどなく、かなり質素で引きこもりな生活をしていて、芸術のためだけに人生を捧げたのだそう。
他の芸術家のように社会的な活動に関わるということは一切なく、穏やかな性格でした。
さらに面倒見がよく気前も良い性格でした!
悩みのある女性モデルの話を聞いたり、生活に困っているモデルがいれば、お金を援助していたそうです。
毎朝、筋トレとジョギングをこなし、筋肉がある体であったことも女性を虜にしたそう。
猫が好きで飼っていたというのも女性に受けていたのではないでしょうか!?
代表作「接吻」
クリムトの作品の代表作「接吻」は、クリムトの黄金時代の1907年から1908年に制作されました。
全体的にゴールドの色彩が散りばめられていて、男女が抱き合いキスをしている作品です。
接吻は180 cm × 180 cm のとても大きな作品です。
記録は残っていませんが、クリムトが最も愛したとされるエミーリエ・フレーゲがモデルになったといわれています。
当時のウィーンの人々の精神状態を、男女の愛に置き換えて視覚的に表現した作品だそうです。
「接吻」はどこにある?
接吻は、オーストリア・ウィーンのベルヴェデーレ宮殿にある美術館にあります。
美しい宮殿にある美術館には、世界で一番多くのクリムトの作品が展示されています。
クリムトの名作に触れてみよう
美しさと切なさに魅せられるクリムトの作品は、金彩も表情、雰囲気も心の奥底に響くような感じを受けます。
レプリカとは違う自分で作り上げるアートで、クリムトの名作に触れる体験を。
クリムトの名作を忠実に再現し、特許を取得した世界初の仕掛けがあるパズルで、クリムトの世界に入り込めるパズル。
両面パズルになっていて、クリムトの代表作『接吻』と『生命の樹』を作れます。
名作を自分の手で作り上げる満足感をぜひ味わってみてください。
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